幾度の撤去計画を生き延びた闇市「思い出横丁」 世界一混雑する駅を無料で通り抜ける「東西自由通路」 日本で1963年まで高層ビルが建てられなかった理由と、揺れを逃がす耐震構造の仕組み 西新宿の地下にあった浄水場と、唯一残された六角形のパビリオン 都庁の地上202メートルにある無料展望台(2つのタワーは営業時間が異なります) 建設されることのなかった劇場に1948年にちなんで名付けられた街 立ち退きを拒んで生き残った「ゴールデン街」 ボタンを押すとライトが灯る、太宗寺にある高さ5.5メートルの閻魔像(無料) 新宿の文字通りの始まりの場所を示す歩道のプレート
新宿駅の線路沿いに並ぶこの狭い路地は、1946年にこの地に自然発生した野外闇市が直接のルーツであり、西新宿で唯一、撤去されずに残った場所です。1999年の火災で28軒が焼失しましたが、約2メートルの幅の路地に現在も約70軒の店舗が営業を続けています。
新宿駅は、ギネス記録によれば1日平均約270万人もの乗降客数を誇る世界一忙しい駅ですが、一つの巨大な駅というよりも、5つの鉄道事業者の駅が合併したような構造で、200以上の出口を持ち、統一された設計計画がありません。2020年7月からは「東西自由通路」が開通し、切符なしで線路の下を横断できるようになりました。
1963年の建築基準法改正で31メートルの高さ制限が撤廃され、容積率制が導入されたことで、日本初の本格的な超高層ビル街が誕生しました。1971年の京王プラザホテルがその皮切りです。ビルは揺れに抵抗するのではなく、揺れを逃がすように設計されており、2011年の東日本大震災の際には、その様子が映像として捉えられました。
新宿中央公園は、日本初の近代水道施設である「淀橋浄水場」の跡地の一部です。1898年から都心に給水していた浄水場は1965年3月31日に閉鎖され、約34ヘクタールという広大な「単一所有者の土地」が生まれました。1968年に公園が開園し、現在は園内の富士見台という丘に当時の浄水場パビリオンが残されています。
丹下健三の設計により1990年に完成、1991年4月に開庁したツインタワーの都庁舎は、丸の内から都の行政機能を西新宿へ移転させました。両棟の45階、202メートルの高さには無料の展望室があり、それぞれ独自の営業日と時間があります。
歌舞伎町一番街の赤いアーチは、1948年にこの地に計画されながら建設されることのなかった歌舞伎劇場「菊座」にちなんで名付けられた街の入り口です。戦後の建築制限と預金封鎖により計画は頓挫し、劇場の跡地には現在、新宿東宝ビルが建っています。
かつては無許可の赤線地帯だった場所が、1958年の売春防止法施行後に飲み屋街へと変わった6つの路地です。地上げ屋や相次ぐ放火に対してテナントたちは結束して抵抗し、今日では約280軒のバーが営業しています。1990年代には150軒まで減少しましたが、その後、賃貸法が変更されたことで再活性化しました。
花園神社は1620年代の寛永期からこの地に鎮座しています。元は伊勢丹百貨店付近にありましたが、大名の屋敷地として取り込まれたため、尾張徳川家の下屋敷の一部を代地として拝領しました。娯楽街のビル群に囲まれて鎮座しており、11月の酉の市や日曜骨董市で有名です。
新宿の歴史あるエリアにある浄土宗の寺院です。高さ5.5メートルの巨大な閻魔像(ボタン式ライトアップ)や、1712年鋳造の江戸六地蔵の一つがあることで知られます。かつては内藤家の菩提寺であり、甲州街道の入り口にあたる場所でした。
新宿3丁目交差点は、甲州街道と青梅街道が分岐する「追分」であり、1699年に宿場町が形成された場所です。1718年に幕府に取り潰され、54年後の1772年に再開されました。伊勢丹向かいの歩道には、その場所を示す碑とプレートが埋め込まれています。
これはこのルートのあるスポットで実際に読める解説です。どのスポットにも用意されています。
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