新宿:闇市から超高層ビルへ
東京 · Japan

新宿:闇市から超高層ビルへ

東京, Japan
110
所要時間(分)
4.9
距離(km)
10
スポット数
簡単
難易度

説明

新宿のすべての場所は、かつてそこにあったものが取り払われた跡地に立っています。この散策は、新宿という街の中で唯一「元からそこにあった」わけではない場所、すなわち、戦後の闇市から生まれ、幾度の撤去計画を生き延びた100軒余りの小さな飲食店が軒を連ねる路地から始まります。次に、地球上で最も乗降客数が多い鉄道駅を横切ります。ここは建物というよりは境界線のような場所であり、そのため線路を挟んだ新宿の東西はそれぞれ異なる都市として発展しました。そして、日本初の超高層ビル群へと足を踏み入れます。これらのビルがここに存在する理由は、1965年までこの土地が浄水場だったからです。東京初の近代水道施設であったこの場所が取り壊されたことで、都心には珍しい「単一の所有者による広大で空っぽな土地」が生まれ、白紙の状態から高層ビル向けのゾーニングが可能になったのです。今もその名残である六角形のパビリオンが一つ残されています。地上202メートルの無料展望台からは、この整地された平原を一望できます。その後、再び駅を越えて東側へ。東側の整地はより複雑でした。建設されることのなかった歌舞伎劇場にちなんで名付けられた街、立ち退きを拒み続けた飲食店の路地、土地を明け渡さなかった神社、そしてかつて宿場があった旧街道の分岐点。1718年に風紀を乱すとして幕府に取り潰され、1772年に再開されて以来、ずっと取り壊しと再建を繰り返してきた場所です。

ハイライト

幾度の撤去計画を生き延びた闇市「思い出横丁」 世界一混雑する駅を無料で通り抜ける「東西自由通路」 日本で1963年まで高層ビルが建てられなかった理由と、揺れを逃がす耐震構造の仕組み 西新宿の地下にあった浄水場と、唯一残された六角形のパビリオン 都庁の地上202メートルにある無料展望台(2つのタワーは営業時間が異なります) 建設されることのなかった劇場に1948年にちなんで名付けられた街 立ち退きを拒んで生き残った「ゴールデン街」 ボタンを押すとライトが灯る、太宗寺にある高さ5.5メートルの閻魔像(無料) 新宿の文字通りの始まりの場所を示す歩道のプレート

ツアースポット

思い出横丁
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思い出横丁

5 分

新宿駅の線路沿いに並ぶこの狭い路地は、1946年にこの地に自然発生した野外闇市が直接のルーツであり、西新宿で唯一、撤去されずに残った場所です。1999年の火災で28軒が焼失しましたが、約2メートルの幅の路地に現在も約70軒の店舗が営業を続けています。

新宿駅西口コンコース
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新宿駅西口コンコース

5 分

新宿駅は、ギネス記録によれば1日平均約270万人もの乗降客数を誇る世界一忙しい駅ですが、一つの巨大な駅というよりも、5つの鉄道事業者の駅が合併したような構造で、200以上の出口を持ち、統一された設計計画がありません。2020年7月からは「東西自由通路」が開通し、切符なしで線路の下を横断できるようになりました。

西新宿超高層ビル街
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西新宿超高層ビル街

5 分

1963年の建築基準法改正で31メートルの高さ制限が撤廃され、容積率制が導入されたことで、日本初の本格的な超高層ビル街が誕生しました。1971年の京王プラザホテルがその皮切りです。ビルは揺れに抵抗するのではなく、揺れを逃がすように設計されており、2011年の東日本大震災の際には、その様子が映像として捉えられました。

新宿中央公園
4

新宿中央公園

5 分

新宿中央公園は、日本初の近代水道施設である「淀橋浄水場」の跡地の一部です。1898年から都心に給水していた浄水場は1965年3月31日に閉鎖され、約34ヘクタールという広大な「単一所有者の土地」が生まれました。1968年に公園が開園し、現在は園内の富士見台という丘に当時の浄水場パビリオンが残されています。

東京都庁舎
5

東京都庁舎

5 分

丹下健三の設計により1990年に完成、1991年4月に開庁したツインタワーの都庁舎は、丸の内から都の行政機能を西新宿へ移転させました。両棟の45階、202メートルの高さには無料の展望室があり、それぞれ独自の営業日と時間があります。

歌舞伎町一番街ゲート
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歌舞伎町一番街ゲート

5 分

歌舞伎町一番街の赤いアーチは、1948年にこの地に計画されながら建設されることのなかった歌舞伎劇場「菊座」にちなんで名付けられた街の入り口です。戦後の建築制限と預金封鎖により計画は頓挫し、劇場の跡地には現在、新宿東宝ビルが建っています。

ゴールデン街
7

ゴールデン街

5 分

かつては無許可の赤線地帯だった場所が、1958年の売春防止法施行後に飲み屋街へと変わった6つの路地です。地上げ屋や相次ぐ放火に対してテナントたちは結束して抵抗し、今日では約280軒のバーが営業しています。1990年代には150軒まで減少しましたが、その後、賃貸法が変更されたことで再活性化しました。

花園神社
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花園神社

5 分

花園神社は1620年代の寛永期からこの地に鎮座しています。元は伊勢丹百貨店付近にありましたが、大名の屋敷地として取り込まれたため、尾張徳川家の下屋敷の一部を代地として拝領しました。娯楽街のビル群に囲まれて鎮座しており、11月の酉の市や日曜骨董市で有名です。

太宗寺
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太宗寺

5 分

新宿の歴史あるエリアにある浄土宗の寺院です。高さ5.5メートルの巨大な閻魔像(ボタン式ライトアップ)や、1712年鋳造の江戸六地蔵の一つがあることで知られます。かつては内藤家の菩提寺であり、甲州街道の入り口にあたる場所でした。

内藤新宿宿場町跡
10

内藤新宿宿場町跡

5 分

新宿3丁目交差点は、甲州街道と青梅街道が分岐する「追分」であり、1699年に宿場町が形成された場所です。1718年に幕府に取り潰され、54年後の1772年に再開されました。伊勢丹向かいの歩道には、その場所を示す碑とプレートが埋め込まれています。

ツアーの一部をご紹介

これはこのルートのあるスポットで実際に読める解説です。どのスポットにも用意されています。

思い出横丁

歩き始める前に、これからの数時間の行程についてお話しします。歩行距離は約5キロメートル、全10か所のスポットを巡ります。地形は基本的に平坦で、唯一の起伏は公園内の小さな丘程度です。参加費は無料です。唯一の出費は食事代くらいで、高さ202メートルの展望台も無料です。新宿駅は一度だけ通過しますが、改札のない通路を通るため運賃はかかりません。あえて日中にこの散策を行うのには理由があります。ルート上の3か所は夜の風景で有名ですが、夜は提灯の明かりしか見えません。日中であれば、その下にある土地の姿、つまりこの散策の真のテーマである「地面」を観察できるからです。 今いる場所を見てください。路地幅は約2メートルで、人がすれ違うには横を向かなければならないほどです。この路地には約60軒の飲食店が密集しており、チケットショップなどのテナントを含めると計約70軒が、わずか630坪(約2,000平方メートル強)の敷地にひしめき合っています。スーパーマーケット1軒分ほどの面積に一つの街が収まっているようなものです。カウンターは6人から12人掛けがほとんどで、肩を寄せ合うように座ります。漂ってくるのは、午後から炭火で焼かれる焼き鳥や、もつ(内臓肉)の匂いです。その匂いは木材の奥まで染み込んでいます。 メニューが焼き鳥やもつ焼き中心なのは、趣味で選んだわけではありません。戦後の配給制度が生んだ名残です。1946年、西口の焼け跡にはおでん屋や古本屋が30~40軒並んでいましたが、火災で焼失後、ここに「ラッキー通り」と呼ばれる野外闇市が形成されました。当時は政府による食糧配給が厳しく、牛肉や豚肉の内臓は統制外だったため、屋台の店主たちはそれらを炭火で焼いて提供しました。80年経った今でも、この横丁の半数以上の店が焼き鳥屋やもつ焼き屋なのは、配給制度の目が届かなかった当時の名残なのです。 これが今回の散策の核となるテーマです。ここだけははっきりと言わせてください。新宿のすべての場所は、かつてあった何かを取り払った跡地に立っています。この横丁は、そのルールを証明する例外です。かつてこの路地は甲州街道から青梅街道まで続き、300軒もの店が並んでいました。しかし1959年、地下鉄の延伸と再開発計画に伴い、これらの店は不法占拠とみなされて立ち退きを命じられました。今あなたが立っている場所は、取り壊しを免れた唯一の「切り株」のような部分であり、当時は仮設の仕切りだったものが、次第に正式な住所や賃貸契約を持つ店舗へと固まっていった場所です。ここから西へ10分も歩けば、すべてが平らに整地されたエリアが広がっています。次に何が建てられたのか、後ほど見ていきましょう。 看板にある「思い出横丁」という上品な名前は後付けです。数十年にわたり、ここは「小便横丁」と呼ばれていました。当時の屋台には上下水道がなく、客が路肩で用を足していたことに由来します。その後、商店街振興組合が名称の変更を推進し、メディアにも古い名称を使わないよう要請したため、現在の提灯には新しい名前が書かれていますが、60代以上の方々は今でも昔の名前で呼ぶことがあります。 1999年11月24日の昼、ここで火災が発生しました。60台以上の消防車が出動し、鎮火まで夜までかかりました。約70軒のうち28軒が焼失しましたが、幸いにも昼間だったため死者は出ませんでした。1年以内にほとんどの店が営業を再開し、組合は現在、11月24日を「思い出横丁の日」としています。驚くべきは、焼失した中心部は現在の建築基準法では再建できないという点です。路地が狭すぎるため、ここは法律上の「幽霊」のような状態で、もし一度すべてを取り壊してしまえば再建は不可能です。1980年代から地権者は再開発を画策し、火災の数か月後には再び計画が持ち上がりましたが、店主たちが立ち退かなかったため、今の姿が守られたのです。 ご利用のヒント:ほとんどの店は午後から営業しますが、ランチ営業をしている店もあります。最近では英語のメニューを用意している店も多く、通りを歩いて眺めるだけでも歓迎されます。駅の反対側にもう一つ同様の横丁がありますが、あちらが生き残った理由は全く異なります。

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