2つの火事と仇討ち:両国
東京 · Japan

2つの火事と仇討ち:両国

東京, Japan
105
所要時間(分)
4.3
距離(km)
9
スポット数
簡単
難易度

説明

隅田川の東岸には、東京の他の地域が開発によって消し去ってしまったものが3つ残っています。それは、この国で最も古いスポーツ、最も語り継がれる因縁の物語、そして死者たちの記憶です。このウォーキングツアーは、力士たちが稽古に励む相撲部屋や国技館の近くから始まり、1702年に47人の浪士が2年にわたる仇討ちを遂げた屋敷跡の庭へと向かいます。そして、1923年9月1日に約3万8000人が避難先で焼死した広場にある慰霊堂へと続きます。この慰霊堂は、1945年の空襲の遺骨も納められている、東京で唯一、2つの大惨事を併せて記憶する場所です。最後は、ある火災がきっかけで架けられた橋で締めくくります。

ハイライト

・相撲の神として祀られる野見宿禰神社(東京の場所ごとに日本相撲協会が参拝に訪れます) ・実際に活動している相撲部屋(街から静かに見学する、あるべき姿で) ・回向院(1657年の火災の無縁仏を供養するために建てられ、後にプロ相撲の起源となる勧進相撲が行われた場所) ・47人の浪士が仇討ちを果たした屋敷の中庭と「義士の井戸」 ・1923年と1945年の死者を祀る横網町公園と東京都慰霊堂

ツアースポット

野見宿禰神社
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野見宿禰神社

5 分

相撲の神と伝えられる野見宿禰を祀る、無人の小さな神社です。1885年にかつての大名の江戸屋敷跡に建立され、現在も東京の場所ごとに日本相撲協会が参拝に訪れます。

両国国技館
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両国国技館

5 分

1985年に完成した現在の両国国技館は、神社の建築様式を取り入れた吊り屋根の下で1万1000人以上を収容し、東京の相撲興行の拠点となっています。年6回の本場所のうち3回がここで行われ、チケットがあれば誰でも観戦できます。

春日野部屋(外観)
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春日野部屋(外観)

5 分

両国駅近くの通りにある実際の相撲部屋です。力士たちが生活し、稽古する場所です。ここは観光地ではなく私的な住まいであるため、ノックや撮影は控え、静かに通り過ぎるというエチケットを守りましょう。

回向院
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回向院

5 分

1657年の明暦の大火による身元不明の死者約10万人を供養するために建てられました。1768年から1909年まで、現在のプロ相撲の起源となる「勧進相撲」が行われた場所としても知られています。

吉良邸跡(本所松坂町公園)
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吉良邸跡(本所松坂町公園)

5 分

吉良上野介の屋敷跡で、当時の井戸が残されています。1702年12月14日の雪の夜、浅野長矩の元家臣47人が吉良を討ち取り、主君の切腹から始まった仇討ちを完遂した場所です。

旧安田庭園
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旧安田庭園

5 分

1690年代に造られた、隅田川の潮の干満を利用した潮入の池を持つ江戸時代の庭園です。後に金融王・安田善次郎が所有し、1922年に東京市に寄付されました。震災と空襲を経て現在の姿に整備されています。

横網町公園
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横網町公園

5 分

1923年9月1日の関東大震災時、避難してきた約3万8000人が火災旋風により亡くなった場所です。当初の公園計画は変更され、犠牲者を追悼するための公園として整備されました。

東京都慰霊堂・復興記念館
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東京都慰霊堂・復興記念館

5 分

伊藤忠太の設計で1930年に完成した慰霊堂は、関東大震災の死者の遺骨を納め、1951年からは東京大空襲の死者の遺骨も納められています。隣の復興記念館には被災遺品が展示されています。

両国橋
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両国橋

5 分

隅田川にかかる橋です。1659年、明暦の大火の後に避難路確保のために初めて架けられました。現在の橋は1932年に完成した、関東大震災後の帝都復興計画の一環としての姿です。

ツアーの一部をご紹介

これはこのルートのあるスポットで実際に読める解説です。どのスポットにも用意されています。

野見宿禰神社

両国は隅田川の東岸に位置し、他の東京の地域とは常に異なる歴史を歩んできました。このウォーキングは相撲の街から始まります。街が目覚める前、力士たちが稽古に励む通りを抜け、江戸時代の街並みが残るエリアを歩きます。そこから、日本で最も有名な忠義と復讐の物語へと思いを馳せます。この物語は数年にわたって忍耐強く準備され、この地からほど近い場所で結末を迎えました。ツアーは全9箇所、全長約4キロ、所要時間約100分の平坦な道のりで、最後は川にかかる橋で終了します。 スタートの前に知っておいていただきたいことがあります。このツアーの後半では、1923年の関東大震災と1945年の空襲という、東京の歴史における2つの甚大な災害を直接扱います。ツアーの最後には、その両方の犠牲者を祀る慰霊施設を訪れます。ツアー全体が沈痛な雰囲気というわけではありませんが、最終地点がそこであることは知っておいてください。 力士たちの気配を感じながら、この街が導くままに進んでみましょう。 今、あなたは神社の前に立っています。注意しなければ通り過ぎてしまうような、朱色の鳥居も人混みもない場所です。閉ざされた門の奥にある、質素な囲い。その小ささこそがポイントです。ここは野見宿禰神社。相撲界にとって重要な意味を持つ場所です。 ここの物語は日本の最も古い歴史書にまで遡ります。『日本書紀』(720年編纂)によると、垂仁天皇が「当麻蹶速という強者が自分に勝てる者はいないと豪語している」という噂を聞き、出雲から野見宿禰という男を呼び寄せました。二人は格闘し(当時はルールが曖昧で、試合というよりは取っ組み合いの喧嘩に近いものでした)、宿禰は蹶速の肋骨と腰を折り、絶命させました。天皇は宿禰に蹶速の土地を与えました。以来14世紀もの間、相撲はこの残酷な戦いを起源としてきました。この神社はこのウォーキングでその起源を語る唯一の場所です。他の場所では宿禰の名前を聞くことはあっても、その物語に深く触れることはありません。 神社自体は比較的新しく、1885年に建立されました。かつてこの隣に相撲部屋を構えていた初代高砂浦五郎が、津軽家の下屋敷跡を入手し、相撲と伝説の祖先を結びつけるためにこの場所を整備したのが始まりです。境内に立つ2つの石碑をご覧ください。そこには、数世紀前の最初から現在に至るまで、歴代の横綱の名前が刻まれています。日本相撲協会が今も追記を続けているため、この小さく控えめな土地は、博物館の展示ケースよりも完全な、相撲の物理的な記録となっているのです。 この神社は歴史遺産としてだけでなく、現在も機能しています。力士が横綱に昇進すると、奉納土俵入りをここで行います。また、東京の場所が始まる前には、日本相撲協会の理事長や審判部長らがこの神社で公式の儀式を行います。観光客がほとんど知らない場所で行われる、本物の儀式です。 これこそが、このツアー全体を通して追うテーマです。西岸が舗装しつくしたものを、東岸は守り抜いてきました。東京は何度も壊され、建て直されてきましたが、相撲協会は数ブロック先の巨大な国技館ではなく、この人けのない小さな神社を、自分たちの権威の原点として扱っています。 見つけるには少し注意が必要です。北斎通り沿いにあり、通常は閉じている駐車場のような門の奥にあります。都営大江戸線「両国」駅のA3出口から江戸東京博物館前の交差点を渡り、そのまま直進すると、3つ目の信号の右手にあります。 ここから相撲の殿堂である国技館までは徒歩で約10分。ツアーはそこへ向かいます。

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