深川:貯蔵の地
東京 · Japan

深川:貯蔵の地

東京, Japan
110
所要時間(分)
4.2
距離(km)
9
スポット数
簡単
難易度

説明

清澄白河は、古い木造倉庫が焙煎所に適していたという触れ込みで「コーヒーの街」として売り出されています。しかし、その因果関係は成り立っておらず、本ツアーはこの説を検証するものです。もちろん、木造建築そのものは本物です。江戸時代の貯木場は700メートル東の木場にありました。かの有名な焙煎所が入居した建物は、水運貨物倉庫でした。ブルーボトルコーヒーの創業者も、このエリアがオークランドを彷彿とさせ、天井の高さではなく、低い建物と安い賃料が決め手だったと語っています。それに、その旗艦店での焙煎は2019年に終了しています。現代アートが深川の倉庫に入ったのは1983年のことで、最初のフラットホワイトが登場する32年も前のことです。この街の不変の事実は、より地味で、より本質的なものです。江戸は、この地を「物を貯蔵するため」に整備しました。1657年の大火の後、運河を通って運ばれた木材がここに浮かべられ、やがて米や肥料の干鰯が、水辺の大きな低層建築に運び込まれるようになりました。このツアーは、木材マネーで建立された神社から始まります。そこは、1684年に勧進相撲が、スポーツとしてではなく建設資金を集める手段として公認された場所であり、現在の本殿は1945年を生き残った石造りの建造物を除き、ほとんど何も残らなかったため1956年にコンクリートで再建されたものです。さらに、1875年に日本で初めてポートランドセメントが製造された河岸(この街の倉庫がどのような素材で作られたかの鍵となります)や、海運王が自身の蒸気船で運ばせた石で満たされた庭園、そして倉庫街の風景を原寸大で再現した博物館を巡ります。最後は、かつての貯木場であった木場公園です。現在は埋め立てられ、その上には公園と美術館が建っています。

ハイライト

建設資金調達のスキームとして1684年に公認された相撲と、新しい横綱の名が刻まれる20トンの横綱力士碑 ほとんどの来訪者がそのまま通り過ぎてしまう伊能忠敬の銅像 ある一帯にその屋号を冠することになった、木材卸商の私邸内の神社 芭蕉が舟に乗り込んだ運河と、そこにあった庵が推定地に再建されたものであるという正直な解説 日本初のポートランドセメントが1875年に製造された河岸と、それが本ツアーの鍵である理由 三菱の蒸気船で運ばれた清澄庭園の有名な石の数々 通り抜けてきた江戸の倉庫街の原寸大再現 コーヒーの街という説における、木造倉庫という説明が崩れる4つの理由 木場の埋め立てられた貯木場と、コーヒーよりも20年早くこの地に根を下ろした美術館

ツアースポット

富岡八幡宮
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富岡八幡宮

5 分

1627年に創建された富岡八幡宮は、深川を往来する木材や米の富によって栄えました。1684年には幕府より勧進相撲の興行が許可されましたが、それはスポーツとしてではなく、建設資金を集めるための公的な手段でした。1900年に建立された横綱力士碑には、新横綱誕生のたびにその名が刻まれており、背後の本殿は1956年に再建された鉄筋コンクリート造です。

成田山深川不動堂
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成田山深川不動堂

5 分

門前仲町は、富岡八幡宮を管理した永代寺の門前町として栄えました。成田山の不動明王像は、1703年に市川團十郎(初代)の歌舞伎ブームに伴い出開帳としてこの地にやって来ましたが、寺院として許可されたのは1878年のことで、現在の本堂は2011年に建てられたものです。

冬木弁天堂
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冬木弁天堂

5 分

冬木地区にある小さな弁天堂。木材卸商「冬木屋」を営んだ上田直次が、1654年に私邸内に勧請した弁財天が由来です。1705年にこの地に移され、やがて町名も「冬木」となりました。かつては個人の私邸の礼拝所でしたが、現在は深川七福神の一つとして親しまれています。

採茶庵跡と仙台堀川の海辺橋
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採茶庵跡と仙台堀川の海辺橋

5 分

仙台堀川に架かる海辺橋の南詰には、松尾芭蕉の門弟、杉山杉風の別荘「採茶庵」を記念するベンチとレリーフがあります。芭蕉が1689年に『奥の細道』へ旅立つ際、舟に乗った場所とされています。現在の建築は復元であり、史実の場所はここから約140メートル南西の場所とされています。

日本セメント発祥の地、清澄河岸
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日本セメント発祥の地、清澄河岸

5 分

1872年、政府はこの河岸にセメント工場を建設し、1875年5月19日に技術者・宇都宮三郎が日本初の国産ポートランドセメントの製造に成功しました。工場は後に浅野セメントとなり、現在もこの地にはコンクリート工場が稼働しており、記念碑と銅像が建てられています。

清澄庭園
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清澄庭園

5 分

清澄庭園は、三菱の創業者である岩崎彌太郎が1878年に買い取った荒れ地を整備した庭園です。1880年に「深川親睦園」として開園し、社員や賓客をもてなす場所として利用されました。全国から集められた銘石は、自社の汽船で運ばれました。1924年に岩崎家から東京市に東半分が寄贈され、1932年に公開されました。

霊巌寺と深川江戸資料館
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霊巌寺と深川江戸資料館

5 分

霊巌寺は明暦の大火の後、1658年に深川へ移転しました。ここには江戸六地蔵の一つが安置されており、1932年にそのドメイン名が「白河」となった松平定信の墓所もあります。すぐ隣には、佐賀町の倉庫街を実物大で再現した深川江戸資料館があります。

ブルーボトルコーヒー清澄白河フラッグシップカフェと平野の街並み
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ブルーボトルコーヒー清澄白河フラッグシップカフェと平野の街並み

5 分

2015年2月、平野1-4-8の古い運送倉庫を改装して、ブルーボトルコーヒーが米国以外で初の店舗をオープンして以来、この地区は「コーヒーの街」として宣伝されるようになりました。この物語を検証するには最適な場所です。なぜなら、木材の貯木場はここから700メートル東にあり、建物は20世紀のコンクリート製で、焙煎所は2019年に北砂の工場へ移転しているからです。

木場公園と東京都現代美術館
9

木場公園と東京都現代美術館

5 分

木場公園は、かつての貯木場の跡地に作られました。1701年に15の木材問屋が造成したこの地は、1972年まで木材の貯蔵所として利用されました。その後、1995年に東京都現代美術館が開館。コーヒーの街として知られるようになる遥か前から、この地にはアートが根付いていました。

ツアーの一部をご紹介

これはこのルートのあるスポットで実際に読める解説です。どのスポットにも用意されています。

富岡八幡宮

まずは、本日の行程について。全9か所のストップを巡り、4キロ強の距離を約2時間かけて歩きます。門前仲町から木場へ向かう平坦な片道コースです。徒歩による移動は無料です。一部のストップで内部見学が可能ですが、庭園(150円)、資料館(400円)、現代美術館(企画により異なる)と、どれも安価で立ち寄れます。各所に到着するごとに案内します。まずは、このツアーの主旨について。20分ほど北に位置する清澄白河は、古い木造倉庫とコーヒー焙煎所というきれいな物語で集客していますが、本ツアーではその物語を、証拠が現れる順番通りに検証していきます。念のためお伝えしておきますが、コーヒーは確かに美味しいです。検証が必要なのは歴史の方です。 私たちは、富が集まった場所から始めます。この神社は1627年、川口の砂洲に創建されましたが、豊かさの源泉は信仰だけではありませんでした。水路を通じてここに集まり、市中の需要があるまで大きな低層の建物に留め置かれた木材や米という大量商品が富を生み出しました。 ここで、このストップにおける最も重要な考え方を説明します。貞享元年(1684年)、力士兼興行主であった雷権太夫らが、寺社奉行に境内で「勧進相撲」を行う許可を願い出ました。「勧進」という言葉が重要であり、これはスポーツ用語ではありません。寺社の建設資金を集めることを意味する、公認・監督された募金活動です。相撲は江戸では風紀を乱すとして禁止されていましたが、建設予算という名目によって解禁されたのです。当初の目的は、新しく埋め立てられた土地の繁栄と、社殿の修復でした。許可には、力士の団体組織化や、年寄による管理、奉行への報告義務といった企業憲章のような条件が課せられました。 よく考えてみてください。江戸における公式な相撲はここから始まり、商人の街で生まれた資金調達手段として始まったのです。商人の街では、群衆の中に寄付のリストを見出す人がいたからです。 その後約1世紀にわたり、春と秋に興行が行われ、現在我々が当然と思っている相撲のシステムが構築されました。1740年代には、年4回の興行が行われる季節巡業の形が定着していました。現存する最古の番付は1757年のものですが、そもそも番付とは興行主にとっての宣伝文書です。相撲の常設館は後に別の場所で生まれますが、その話は別のツアーで触れることにしましょう。 さて、参道の左手をご覧ください。力士たちが今もここに戻ってくる理由がわかります。1900年に完成した横綱力士碑は、高さ約3.5メートル、厚さ1メートル、重さ約20トンの白御影石です。第12代横綱・陣幕久五郎が建立に尽力しました。側面に刻まれた寄付者名を見ると、伊藤博文、山縣有朋、大隈重信など、スポーツ関係者ではない政界の要人たちの名が並んでいます。裏面には歴代横綱が刻まれており、45代でいっぱいになったため、脇に補助の碑が並んでいます。1998年に第66代から刻印が再開され、現在も新横綱がここで土俵入りを奉納し、名を刻むという儀式が続いています。1945年の大火で周辺は焼失しましたが、この石碑は無事でした。1923年の震災時も倒壊を免れ、修復作業を経てこの地に移設されています。 次に、多くの人が通り過ぎてしまうものをご紹介します。大鳥居を入ってすぐ右手に、旅装をした小柄な男性の銅像があります。これは伊能忠敬です。50歳で江戸に出て天文学を学び、この近くの深川黒江町に隠居所を構えていました。彼は測量に出るたび、必ずここで参拝しました。1800年6月11日、55歳で蝦夷地(現在の北海道)へ向けて徒歩で出発したのが最初です。像が建てられたのは2001年と近年のことです。ほとんどの観光客は、相撲の石碑を目指してそのまま通り過ぎてしまいます。 本殿は1956年に再建された鉄筋コンクリート造です。空襲で木造建築は焼失しましたが、石造りのものは残りました。この地区のコンクリートがどこから来たのかは、ツアーの第5ストップで明らかになります。なお、2027年の創建400年に向けて、免震化工事や屋根の葺き替えが行われており、仮社殿も設置されています。その資金の一部はクラウドファンディングで賄われています。これもまた「勧進」そのものです。 8月中旬には、神輿に水を浴びせる「水掛け祭り」が有名です。神輿が連合渡御する「本祭り」は3年に一度、次は2029年の予定です。 ここまでの流れを改めてまとめます。この神社のパトロンたちが木材を浮かべていた貯木場は、ここから北東へ1キロ少々進んだ場所にあります。今回のツアーはそこで終わります。これから見るすべてのものは、水路から運ばれてきた何かを留め置くために作られたのです。

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