神楽坂:その商いよりも長く続いた坂
東京 · Japan

神楽坂:その商いよりも長く続いた坂

東京, Japan
90
所要時間(分)
2.2
距離(km)
10
スポット数
普通
難易度

説明

神楽坂は「東京の小さなパリ」として、また目立たない顧客を匿うために曲がりくねった芸者衆の路地として売り出されています。この散策ではその両方を確認します。誰もが口にするフランス学校は、もともと神楽坂にはなく、2012年に都心から移転しました。実際に残っているのは、ル・コルビュジエの日本人弟子の一人が1951年に設計したコンクリート造の建物です。また、有名な「かくれんぼ横丁」のような曲がりくねった路地も、決してその商い(花街)のために削られたものではありません。このネットワークは、江戸時代の区画割り、明治期に分割された武士や寺院の土地を継承したもので、台地の縁に沿って延びているに過ぎません。芸者衆はそれらの路地を埋め、名前を付けただけで、路地そのものを作ったわけではありません。全盛期には619人の芸者と166軒の置屋がありましたが、現在残っているのは18人の芸者と4軒の料亭のみで、今もその路地にある「見番」と呼ばれる事務所で運営されています。散策は江戸城外堀の検問所から始まり、1960年代には1日200人の芸者が通った銭湯を抜け、1792年に神楽坂の頂に落ち着きこの地を特徴付けた寺院へと向かいます。最後は、開発業者がマンションを建てるために70年間の借地権を貸し出し、その収益で隈研吾設計の社殿を建立した、700年の歴史を持つ神社で締めくくられます。この土地は2080年頃に返還され、再び森に戻る予定です。

ハイライト

寺院の門前町を形成し、後の花街の礎となった江戸の外堀検問所 「小さなパリ」という宣伝の真偽と、現存する1951年竣工の坂倉準三建築 正午に一方通行が切り替わり、入れ替え時に車両通行止めとなるメインストリート かつて1日200人の芸者が通った、22段の石段が特徴の銭湯 現在も神楽坂の芸妓衆を取り仕切る見番の歴史と、619人から18人へと至る現在 有名な「かくれんぼ横丁」と、なぜ路地が曲がっているのかという事実 1945年の戦災の傷跡を残したまま今も立つ1848年奉納の石虎 自らの土地を70年間貸し出すことで隈研吾による再建を成し遂げた神社の物語

ツアースポット

牛込見附跡
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牛込見附跡

5 分

飯田橋駅横の早稲田通りを挟む一対の石垣。これは1636年、阿波徳島藩主・蜂須賀忠英によって築かれた江戸城外堀の門、牛込見附の地上に残る唯一の遺構です。門は1872年に取り壊され、石垣の大部分も1902年に撤去されましたが、残された石積みは国指定史跡「江戸城外堀跡」の一部として保護されています。

カナルカフェ(東京水上倶楽部)
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カナルカフェ(東京水上倶楽部)

5 分

東京水上倶楽部は1918年、江戸城外堀にオープンしました。現在もボート貸し出しを行っており、都内最古のボートハウスとして知られています。かつてこの場所には「神楽河岸(かぐらがし)」と呼ばれる荷揚げ場があり、その付近の坂道が「軽子坂(かるこざか)」と呼ばれるようになった由来となっています。

アンスティチュ・フランセ東京
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アンスティチュ・フランセ東京

5 分

神楽坂の「リトル・パリ」物語の真の核となるのは、ル・コルビュジエのパリのアトリエで学んだ坂倉準三が設計した、1951年竣工のコンクリート造の建物です。1952年に日仏学院として開校し、2016年には希少な二重螺旋階段などが評価され、DOCOMOMO Japanに選定されました。よく言及されるフランス学校は、かつて濠を渡った千代田区富士見にありましたが、2012年に北区滝野川へ移転しました。

神楽坂通りと仲通り
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神楽坂通りと仲通り

5 分

神楽坂通りは、午前0時から正午までが下り一方通行、正午から深夜までが上り一方通行です。正午から1時間、交通の流れを切り替えるために完全な車両通行止めとなります。坂は外堀から寺院のある頂上まで、約250メートルにわたって緩やかに続きます。

熱海湯と芸者階段
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熱海湯と芸者階段

5 分

熱海湯は、1954年に建てられた木焚きの銭湯です。牛込台地の縁を4メートルほど下る22段の石段の麓にあります。現在も営業を続けており、土曜が定休日です。店主は、全盛期には1日約200人の芸者が通ったと語っています。

東京神楽坂組合見番
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東京神楽坂組合見番

5 分

神楽坂にある東京神楽坂組合の事務所(見番)は、花街の予約や料金管理、芸者の登録などを行ってきた場所です。2025年12月時点で4軒の料亭と18人の芸者が所属しています。戦間期には619人の芸者と166軒の置屋を抱えていました。

かくれんぼ横丁
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かくれんぼ横丁

5 分

かくれんぼ横丁は、幅2.7メートルの黒い板塀が並ぶ石畳の路地です。この道は、神楽坂仲通りと兵庫横丁の間で曲がりくねっており、新宿区の地図上では3つのセグメントに分けられています。曲がっている理由は「追っ手を撒くため」と言われますが、研究では江戸時代の地形や土地の区画に由来するとされています。

善國寺(毘沙門天)
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善國寺(毘沙門天)

5 分

神楽坂の毘沙門天として知られる日蓮宗の善國寺は、1595年、徳川家康の庇護を受け日本橋で創建されました。1792-93年にこの高台へ移転し、その門前で発展した商いがこの街の礎となりました。1848年奉納の石虎は、毘沙門天の使いとして置かれ、1945年の戦災も生き延びて今も傷跡を残しています。

兵庫横丁
9

兵庫横丁

5 分

兵庫横丁は、善國寺の前から北へ約100メートル続く石畳の路地です。戦国時代の武器庫に由来する名を持ち、現在も「由本」と「八千代」の2軒の料亭が営業しています。かつて映画脚本家たちが執筆のために缶詰にされた旅館「和可菜」がありましたが、2015-16年頃に閉鎖され、2023年頃に隈研吾建築都市設計事務所によって修復されました。

赤城神社
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赤城神社

5 分

この散策の結論となる場所です。1300年頃に牛込氏によって創建され、1683年には「江戸大社」の一つに数えられました。戦後、老朽化と幼稚園の閉鎖に直面した神社は、園庭部分を三井不動産レジデンシャルに70年間の定期借地権として貸し出しました。その収益で、隈研吾設計のガラスと木材を基調とした社殿が2010年9月に完成しました。

ツアーの一部をご紹介

これはこのルートのあるスポットで実際に読める解説です。どのスポットにも用意されています。

牛込見附跡

飯田橋駅西口を背にして、早稲田通りの向こう側を見てください。道路の両側に、古びた石の塊が鎮座しています。 squat(ずんぐりとした)で風雨に晒された、見過ごしてしまいそうなこの二つの塊こそ、この散策ですべてを見る理由であり、今日目にするものの中で最も古いものです。 ここが牛込見附でした。「見附(みつけ)」とは「見つける」という言葉に由来し、番兵が往来する人々を監視した場所を指します。江戸城外堀において道路が水路を横切る地点に、門と橋、そして内側に番所が設けられていました。江戸には36の見附があったと言われていますが、実際は主要な門が26、その他重要な場所が10か所程度です。赤坂見附や四谷見附のように、門自体は消えても名前だけが残っているケースがほとんどです。 ここで巧妙なのは「枡形(ますがた)」という構造です。江戸の門を通り抜ける際、まっすぐ進むことはできません。橋を渡ってまず低い門をくぐり、四方を壁に囲まれた広場に入ります。すると、二つ目の大きな門が直角に構えています。攻め入る者はこの角で勢いを削がれ、さらに四方の壁上から迎撃を受けることになるのです。この先に有名な神楽坂の曲がり角がありますが、この構造を頭に入れておいてください。 門が築かれたのは1636年、江戸城の総仕上げとなる大普請の時です。将軍・徳川家光の命により、約120人の大名が動員されました。費用はすべて各藩の持ち出しで、これこそが幕府の狙いでもありました。牛込の担当は阿波の蜂須賀家でした。蜂須賀忠英は徳島から600キロ以上離れたこの地へ、自分用ではない門のために人と石を運び込みました。石垣と土橋はその年に完成し、翌年には櫓や門扉も整いました。 興味深いのは、道路向かいの教会の建て替え時に、門の地下の基礎から発見された石です。そこには「阿波守内」という文字が刻まれていました。これは、当時の工事担当者が、二度と人目に触れない場所であるにもかかわらず、主の名を石に刻んだという記録です。 現在地にあるのはごく一部です。1872年に門は取り壊され、1902年に石垣の大部分も姿を消しました。残っているのは枡形の両側の壁のみで、その間を現代の道路が通っています。角の部分を見てください。長い面と短い面を交互に組み合わせる「算木積み」という技法が用いられており、崩れにくい工夫がなされています。1956年には国指定史跡となりました。 次に水面を見てください。この堀はゼロから掘られたものではなく、元々あった谷を広げたものです。1894年にはこの堀の空間を利用して鉄道が敷かれ、牛込駅ができました。土手の上は公園になっています。堀のもう一つの遺構であるボート乗り場が、次の目的地です。 最後に道路のことです。この門から先へ、道は西の坂を上り、神楽坂、高田馬場、板橋へと続きました。門と道路がある場所には往来が生じ、往来は寺院や宿屋、茶屋を生みます。そして一世紀半後、坂の頂に寺院が定着し、その門前で商いが発展しました。この順序が重要です。この坂は今のような街になるために作られたのではなく、この門のために作られ、後のすべての店主は間借り人に過ぎないのです。 地名でさえ受け継がれたものです。「牛込」は、8世紀に武蔵国に置かれた勅旨牧の「牛の囲い」に由来すると一般的に説明されます。後年この丘を治めた武士の一族は、地名を自分の姓にしました。私たちの散策の最後は、彼らがこの地にもたらした神社へと向かいます。 実際の案内:全10スポット、約2キロの距離を90分程度で巡り、神楽坂駅で終了します。散策自体は無料ですが、コーヒー代や銭湯代などの実費はかかります。坂の勾配や石段があるため、歩きやすい靴でお越しください。また、もし可能であれば、正午に第4スポットに到着できるよう調整することをお勧めします。メインストリートで起こる、一見の価値がある出来事に間に合います。

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